経営学者が企業の経営をしたら、その企業はうまくいくのでしょうか。
うまくいくの定義にもよりますが、実際に経営学者が起業してスケールしたという話も聞かないので、やはりうまくいかないのでしょう。
だからといって、企業の経営において経営学は無駄なのかと言われると、決してそんなことはありません。
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経営学者と経営者との違い
経営学者と経営者との一番の違いは、研究者か実践者かという点です。
これらの違いは、企業を見る視点と焦点の違いに現れます。
経営学者は、成功した企業の事例から法則性を見出す、モデル化してフレームワークを作るといった風に、結果に焦点を当てて企業を見ています。
成功するための最大公約数や共通性を探求しています。
そのため、対象となる企業は一定数の数が必要です。
それに対して経営者というのは、上手くいくための過程にいる訳ですから、成功させるための過程に焦点を当てています。
成功すれば、それがスタンダードな方法であろうが、ユニークであろうが関係ありません。
なぜなら、自分の会社が成功すれば良いので、他の企業においても適応できなかったとしても、なんら関係がないからです。
経営の知識
フランス料理の知識がないのに、フランス料理店のオーナーシェフとして起業する人はいないでしょう。
しかし、経営の知識がないけど起業する、つまり自分が経営者になる人は、経営の知識があって起業する人よりも圧倒的に多いです。
フランス料理を作るにはフランス領料理についての知識や技術が必要なように、経営をするには経営の知識が必要です。
経営の知識がなくても問題がないのであれば、多くの会社がもっと儲けていてもおかしくはありません。
経営学とは
実務家である経営者の方々から見たら、経営学とは上手くいった企業を後から見ただけで、成功に至るまでのプロセスや数多くの失敗を見ていない、ただの理想論と感じているかもしれません。
間違ってはいませんが、それでも経営学は企業の経営において意味があり、価値をもちます。
経営学は言うなれば「型」です。
「型」というあるべき姿を想定できていると、そこに向かう正しい選択肢を選べる確率が高まりますが、あるべき姿を知らないとその場その場の場当たり的な対応しかできません。
例えば球技において、ボールを投げるにせよ、蹴るにせよ、ラケットで打つにせよ、理想的なフォームというものがあります。
実際のスポーツの試合において、理想的なフォームでシュートしたりパスしたりする機会ばかりではありませんが、選手はきちんとしたフォームを身につける必要があります。
理想のフォームが効率的な体の使い方だからです。
知識と経験のバランス
経営学者のように経営に詳しいからといってもうまくいくわけではない。
でも、経営についての知識がなくても駄目だというなら、いったいどうしたら良いのでしょうか。
その答えは、「型」である経営学を、実務家の視点でバランスをもって適切に使うことです。
スポーツ選手によって体形、体格、骨格、筋肉の付き方がそれぞれちがうため、理想的なフォームも大筋は同じであっても、細部では微妙に異なります。
同様に、企業によって理想の「型」をそのまま使用するのではなく、自社の状況に合わせたアレンジは必要です。
経営学は過去の事例から考えたものであるため、状況や企業の置かれた状況においては役に立ったり、役に立たなかったりといったことはあります。
同様に、状況が変わると過去の経験が役にたたなかったということもあります。
教科書や本に書かれた知識一辺倒ではなく、また経験一辺倒でもなく、知識と実務経験のバランスを考えることで、適切な判断と行動が可能となり、成功への確度が高まるでしょう。
最後に
知識と経験は両輪だといえます。
どちらか一方だけではなく、両方のバランスが重要です。
知識だけ、経験だけ、ではなく、その両方を備えている方がうまくいく確度は高くなります。
以上、参考になれば幸いです。