「刀は武士の魂」という言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。
この言葉は江戸後期の文献に登場し、一般的に言われ始めたのは武士という職業がなくなった近世以降という説があります。
豊臣秀吉が刀狩りを行ったことは教科書に書いてあることですから、どなたもご存知だと思います。
農民や僧侶などから武器を取り上げようとした動きは、実は豊臣秀吉以前にも行われていたのですが、それはともかく、農民や僧侶などから武器を取り上げるということは、武士以外も武装していたからであって、つまり刀は武士だけのものではなかったということです。
江戸時代には町人も帯刀しており、「刀は武士の魂」という言葉は武士が活躍した時代にはなかったということは、このことからも分かるかと思います。
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実際の合戦では
実際、戦国時代のようにあちこちで合戦が起こっていた時代に刀はメインウェポンではありませんでした。
最初は弓(鉄砲伝来後は鉄砲)、近づくと投石を使用し、接近すると槍を使用していました。
実際に戦国時代の死因は、弓が約60%、鉄砲が約20%、槍が約20%、投石が約10%で、刀はそれ未満だったようです。
離れたところからお互い近づくわけですから、まずは飛び道具で攻撃するのは当たり前と言えば当たり前ですね。
また、実際に槍で敵を突いたかどうかはともかく、敵陣に最初に攻め込んだ人を一番槍と言いますので、飛び道具ではない武器=槍という認識だと言えそうです。
合戦では刀を使わなかったのか
実際の合戦では刀を使わないのに、なぜ帯刀しているのかというと、槍が折れた時の予備として……という意味合いもあるでしょうが、実際に活躍する場面もあります。
合戦といっても平地での野戦ばかりではありません。
城内や市街地といった長い柄の槍が使いづらい場面では刀を使用していたようです。
戦国時代の槍は長さが5~6メートルあるのですが、天守までの間にいくつも門があって、長い柄の槍をもって集団でスムーズに移動するのは難しいのは想像できると思います。
スムーズに移動できないということは、守っている側から鉄砲や矢、落石で攻撃されてしまうことになります。
下剋上の世の中であれば、兄の住む館に弟が夜襲をかけるといったこともあった訳ですが、こういった場面は刀の出番ということになります。
最後に
欧米人は刀が好きですが、刀に対して妙なイメージを持っていたり、変な幻想を抱いていたりで、正確なことを知らないのは日本人も同じかもしれません。
弥生時代に日本に伝わり、安土桃山時代までの1,000年の時間をかけて進化した刀について、使用場面の点で書いてみました。
よろしければ、話の種として使ってください。